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ならでわ屋 こだわりのストーリー2009.06.05 Friday
一酸化炭素中毒
山口のホテルで一酸化炭素中毒事故がありました。
若い命が失われ、やりきれない思いになります。 私が中学生の頃、我が家もあやうく一家全員一酸化炭素中毒であぶないところだったのを思い出しました。 入浴中の父と妹があがってきたら次に入ろうと思ってたのに、何だか妙に身体がダルくなってベッドに横になっていた私。お風呂から上がってきた妹が二段ベッドの梯子から、ドターン!と落ちた音で目が覚めました。 ビックリした母が父に知らせにいくと、居間のソファーには風呂から上がりたてのフルチンの父が倒れるように仰向けになっている!(笑)って当時は笑い事ではなかったのですが。 ここで「ガスだ!」と母が気づき、ガスを止め、家中の窓を開けたのでした。ほどなく父が回復し、車でいきつけの医院へ私と妹を連れて行ってくれました。 ものすごく大きい注射器で静脈注射をしてもらって帰ってきましたが、その夜は妹が、次の日の夜は私がほぼひと晩中アゲまくり・・・。 マジできつかったです。 原因は台所の横(室内)にあったガス風呂釜の煙突の途中に雀が巣をつくっていたこと!田舎ですからね〜。 煙突から「チュンチュン」声がしてたのは知ってたけど、そんな危ないことになるとはツユ知らず・・・。馬鹿でしたな〜。 そのときのダルーイ身体の感覚は今でも覚えています。特に異常を感じるような気分の悪さではなく、「きついな〜、寝れば治りそう」って感じ。まさかガスのせいだなんて、全然わからないんです。 気分がちょっとでも悪くなったら、すぐ換気ですね! 一人だけ、母がガスにやられてなかったのも、ちょっと前に布団を敷くために窓を開けて部屋の掃き掃除をしてたおかげて、新鮮な空気を吸ってたからなんです。 最近は、昔ほど、換気に気を配ることがなくなったような気がします。 身を守る為にも、そして健康の為にも、家でも会社でも外出先でも、換気には気をつけようと改めて思ったことでした。 2009.03.13 Friday
さよなら ブルートレイン
今日、車中でラジオを聞いてたら、ブルートレインの愛称で親しまれた寝台特急はやぶさ(東京―熊本)、富士(東京―大分)が、今日で最後の運行だったそうです。
これで、東京駅発のブルートレインはなくなってしまうとか。 途中、実況で社内放送が流れたりして「あ〜、そうそう、このメロディーの後、車掌さんの声が聞こえてくるんだった・・・」と○十年前を思い出して、すごく懐かしい気持ちになりました。 佐世保の高校を卒業後、所沢の学校に向かう為に同級生と二人、「寝台特急さくら」で出発しました。夕方の家族との別れは、初めて家を離れる寂しさと、これからの生活への期待で、悲しいような嬉しいような不思議な気分でした。 両親は同じボックスになった大人たちに「東京まで行きますから、よろしくお願いします」と挨拶しまくり。 「小さな子供じゃないのに」と恥ずかしいくらいでしたが、心配しているのがわかり、ありがたかったです。 帰省するときもよくさくら(東京-佐世保間)を使いました。ベッドは狭いし揺れるし、寝相が悪いとおっこちそうで恐いし、最初はあまり眠れなかったのですが、そのうち、慣れると眠れるようになりましたね。 初めて会った知らない人同士6人が向かい合わせの席に座り、時間になると車掌さんが来て、壁にたたんであったベッドをパタンと下ろしてくれる。 カーテンはあってもオープンな空間ですから、同じボックスに危ない人がいるとか思ったら眠れないです。 でも、そんな心配はあまりしないでいい時代だったんですよね。 今は色んな人がいるから、怖い感じがしますね。寂しいですが。 さくらも佐世保発は1999年に廃止されていました。 もう一度乗ってみたかったですね〜。ブルートレイン。 2009.02.23 Monday
おくりびと 快挙!
おおっ〜!邦画「おくりびと」がアカデミー賞外国語映画賞を受賞しましたね〜。
心の中で応援してたので、すごく嬉しい。 この映画は、葬儀会社からの招待で、昨年の11月下旬に母とみにいったのでした。 父が亡くなって間もなかったので、葬儀会社のお客様(?)リストに入っていたらしく応募の案内があり、ラッキーなことにペアチケットが当たったのでした。 話題の映画だし、タダで見られるので場内は満杯。たぶん最近身内の方を亡くした家族ばかりのはず。妙な一体感を覚えながらの映画鑑賞スタートでした(笑)。 未だに父のことを思い出すと涙ぐむ母には刺激が強すぎるのでは、と心配したのですが、大笑いするようなシーン、心があったかくなる涙・・・。ああ、みて良かった・・・。そう思える映画でした。 でも私にとって一番印象に残ったのは、映画が終わり、帰る私たちを見送る葬儀会社の方の表情でした。 「あ、父の葬儀でお世話になった方だ」。 覚えているスタッフさんの顔が、見たこと無いような輝く笑顔。 葬儀の時はさすがにニコニコできなかったのかも知れないけど(笑)、もしかしたら、映画のように、今まで葬儀にかかわる仕事をしている事で、嫌な言い方をされたり、片身の狭い思いをなされた事があったのかもしれないと、ふと思いました。 そんな想いを払拭してくれる「おくりびと」の映画。自分の仕事を誇らしく思わせてくれる、世間の人々の見る目もきっと変わると感じさせてくれる映画。 なんだか彼の顔にはそんな映画に出会った喜びが表れているようで、私もとても幸せな気分になって家路につきました。 父が亡くなったということに対しても、英語題「Departures」の名のとおり、旅立っていったんだなあと、自然に思えるようになった気がしました。 いい映画です。 2009.01.24 Saturday
玉屋ラーメンが変わってたよ!
久しぶりに、玉屋デパート6階の大食堂に行きました。
午後4時くらいの中途半端な時間帯で、ちょっとした時間合わせのために、休憩に入ったのですが、小腹がすいて、ついラーメンを頼むことに。 以前から玉屋大食堂のラーメンは、さっぱりした美味しさが好きでしたが、今回頼んだら、内容が変わってました! スープが以前より濃厚な豚骨スープになっていて、大きな角煮が入ってるんです。 さて、お味は・・・。 やはりちょっとこってり系になってて、昔の玉屋ラーメンの味とは違っていますが、なかなか美味しい! 角煮もトロットロ! あっという間に食べてしまいました。 小腹がすいて・・のはずだったのに、あんまり美味しそうで、実は写真撮る前に少し食べちゃったのよね。 写真で、麺と具が少なく見えるのはそのせい・・・・。ゴメンチャイ。 何だか玉屋大食堂って好きなんです。 私が小さい頃は、あまり外で食事することがなくって、お休みの日に玉屋の食堂で食べるのは贅沢なことでした。(って私は何歳) そのころの家族での楽しい思い出を身体が覚えているのか、玉屋大食堂にくると、ほんわか幸せ気分になるんですよ。安上がりですね〜(笑)。 でも、本当にお値段の割に味がいいと思うんです。 巷でも自然な味を好む方に特に評判がいいようですよ。 小さな子供がいる家庭には、周りに気兼ねしなくていいし、タタミスペースもあるし、絶対おススメですね。 佐世保玉屋 〒857-8588 長崎県佐世保市 栄町2番1号 TEL(代)0956-23-8181 2009.01.18 Sunday
人生の大先輩のお話
ひっさしぶりに書き込んでおります。
ちょっと前のことですが、庭の樹の落ち葉(落葉樹は大変です・・)を履きながら、あまりに育ってしまったアジサイも気になって少し剪定していたら、下の家に住んでいらっしゃるおじいさんが現れて、手伝ってくれることに。 そのうち、電線にかかるほど育っていた大きなケヤキの樹にも、するすると登って鋸でドンドン剪定してくれました。 前回の剪定の時には植木屋さんが、クレーンを持ってきて切ってたのに・・・。 いつも、下の家にも我が家からケヤキの葉が落ちるので、「すいません〜」と声をかける度に、「ものは上から下に落ちるとやけん、気にせんでよかと〜」と仰って下さる気のいいおじいさんだったのですが、落ちる量は少ない方がいいと思っていたのかも(笑)。 その方から、休憩中にお茶を飲みながら聞いた話がすごかった 身のこなしが軽いので、まさか84歳の方とは思えなかったのですが、若いころは戦争に行き、戦後、潜水夫として油田プラントの水深100メートル以上の現場などで働いた思い出話などを聞くことが出来ました。 全然知らない世界の話なので、とっても面白くて、ついつい休憩が長くなってしまいました。 その中でも戦争中、外地で日本軍のやったことについては、実際に見た人の話ですから、とてもショックでした。当時は立派な人もいたかもしれませんが、ひどいことをした人もいたのは事実ですね。だからどうだとかいうつもりはありませんが、知ることは大切だと思いました[:ふぅ〜ん:]。 戦争中を思えば、今の日本は不景気であろうと何だろうと本当に有難い世の中だと仰ってました。その感謝の気持ちが、今でもお元気でしかも淡々と生きていらっしゃる原動力になっているのかもしれないですね。 人生の大先輩から、たくさんのことを教えていただいたひとときでした。 |